努力という言葉は卑しい者や醜い者に撮って都合が良い
人間的魅力が無いものたちが分不相応に他人より優位に立とうとする時に用いるのが努力という言葉だ。
実際のところそんなものは存在しないが彼らの卑しい魂はそんなことしったことではないのであろう。
人一倍卑しく醜くこの世にとって大きなマイナス、それが彼らの正体なのだから。
勉強してる人に魅力がない理由
まぁ単純に言うと勉強は金と劣等感と悪意によってなされる物だから必然的に魅力はない。
そしてこの勉強信仰は醜い日本人にはぶっささるのである。
勉強は本質的な成長や昇華とは真逆のものでありそれこそ野々村議員や、飯塚幸三氏(医師のトップ)などがいい例だろう。
そう
金と時間と悪意だ。
それこそが勉学洗脳の正体である。
魅力がない人が結婚し、子供を作る時代
最近の結婚観というものはやはり金をぶんどれるか否かというところだと言える。
魅力的な人達が結婚や出産をほとんどしなくなり、異性から需要のない者達が率先して結婚し子供を作る時代である今。
ただ、異性から需要がない人たちというのは外面内面にかなりの問題を抱えている人達なので子供たちは当然都合のいい道具になってしまう。
逆もまた然りである。
魅力的な人たちは子供を心底愛する。
だからこそ魅力的な人格といえるのである。
少子化対策どうこうをメディアも騒ぎ立てているが、需要のないもの達同士ですら互いを罵り合い離婚や夜逃げ等枚挙に暇がない。
それもそのはず彼等が結婚出来る所以は金をぶんどれるかどうか、それしかないからだ。
勉学、努力、スポーツ、音楽、様々な教養洗脳も頑張ってはいるが、やはり人間本質的な脳はそんなものに容易く騙される程愚かでは無い。
子供たちが自殺や、家出をして逃げているのもこのもの達が要因となっている。
これから先、筆者は家出支援団体を創設するつもりだが魅力のない親から逃げる子供たちは日に日に増えていく。
今でさえ毎日ひっきりなしに増えていく家出希望者達の声に手が回らない。
魅力的な親なら同じ空間にいるだけで心が満たされ直感的に幸福を感じるように人間はできている。
ただ、その逆ならまさに地獄である。
子供たちにとっては不幸しかない。
最近よく言われるのは小中高で異性に需要がなければその人は年上であれ、年下であれ、異国の者であれ、需要がないということだ。
筆者も本能的にこの意見には頷ける。
そして需要がある人達の共通点としてケチでないこと。他者への奉仕をすること。
もあげられる。
つまり、金をぶんどれると確信して需要のない者と結婚したとしても結婚後、金の管理をまかせて貰えず無駄骨に終わるどころか束縛される可能性も大いにある。
今後は子供たちも親から金をとれない事が確信でき、コストを割かない親にあたったならスグに逃げる準備を影でするべきだろう。
高齢者自決論は正義
まごうことなき正義であり、今からやるにしても遅いくらいである。
成田氏は英雄と言えるだろう。